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知る長福寺について

長福寺の歴史

history

長福寺のはじまり

長福寺の開基は、康保2年(西暦九六五年)に修行中の身であった祐存上人が信州塩田の霊峰独鈷山の東北(鬼門)の位置にあたる神仏の功徳あふれる生島足島の神域に近遠者の祈りの霊像として独鈷山守り仏である瑠璃に輝く薬師如来(独鈷山麓にある中禅寺の薬師本尊)を勧請し奉安したのが始まりであると今に伝えられております。

生島足島神社の別当として

創建当初は、西隣に対のかたちにて「神宮寺」があり生島神の別当として仕え、長福寺は足島神の別当として仕えていました。明治の廃仏毀釈により「神宮寺」は廃寺となり、仏、仏具等は一部は長福寺に預けられ、他は各寺院に配られました。

火災からの再建

昭和35年3月、近所の火災の飛び火に合い、本堂、庫裏、夢殿の一部を焼失し、昭和50年に檀信徒の皆様の協力を頂き、本堂再建、観音堂修復し今日に至ります。

長福寺の「いま」

長福寺は、癒しのお薬師さまとして、その大いなる救済の本願によって苦しみのない人生と安らかな来世を願う人々の祈りの聖地となってまいりました。 境内には、梅や桜、牡丹や藤の花が咲き誇り、霊峰 独鈷山を借景とする四季折々の美しさには、まさに私たちを癒してやまない本尊薬師さまのお姿の顕われにほかなりません。どうかその自然の美に向かって静かにお手を合わせ、薬師さまの瑠璃光浄土に心遊ばせてください。 きっと朝日が野ぶるように命の力が湧き上がってくるでしょう。

住職挨拶

greeting

虚住実帰

今後は廃寺になっていくお寺があると考えます。寺がなくなることはその地域の歴史がなくなることです。 寺を守ることが、地域を守ることにつながっていくと思います。 長福寺は、供養の寺でもあり、祈祷の寺でもあります。嬉しい時、悲しい時、泣きたい時それぞれの人生の場面で、ぜひ、頼ってほしいと思います。
「虚住実帰(きょじゅうじっき)」とは、真言宗の開祖弘法大師の言葉です。「何もなく来ても充ちて帰る」との意味です。長福寺も何気なく参拝しても、参拝してよかったと思えるよう勤めてまいります。

住職の写真

村越深典

1973(昭和48)年長野県生まれ。高校卒業後すぐ智山専修学院に入り僧侶となり97年に上田市の真言宗智山派長福寺に晋山する一方、同市消防団分団長や地元自治会長、さらに令和4年より上田市会議員としても若い力を結集し地域振興に尽力中。